むかし、土曜日は午前中だけ学校があり、「半ドン」と言われていた。半ドンという響きは、今でも心を軽くさせる。

半ドンで家に帰ると、いつも祖母が待っていてくれた。冬にはうどん、夏にはソーメンを茹でてくれて、一緒に食べた。

よく近所の八百屋や魚屋、肉屋、時にはちょっと足を伸ばしてスーパーまで、買物について行った。100円もらって、魚肉ソーセージやビックリマンチョコを買うのが楽しかった。

ある時、私が集めていたドラゴンボールの単行本を、祖母がびしょびしょに濡らしてしまったことがあった。26巻だった。祖母は私に「ごめんね」と謝った。でも当時の私はとてもとてもショックを受けて、祖母に怒ってしまった。
その時の祖母の悲しそうな顔を覚えている。

「死んでいない者」は、葬儀に集まる親戚たちの話である。死んでいる者を通して、死んでいない者の感情が浮かび上がってくる。

祖母が亡くなったとき、セレモニーホールで、死化粧をしてもらった祖母の隣で一晩眠った。

祖母が夢枕に立つことはなかったけれど、祖母の思い出はたくさん思い出すことができる自分に驚いた。
ふだん、記憶力がなくて、大事なこともすぐに忘れてしまう自分が、祖母に作ってもらったソーメンの味や、濡らされた漫画の巻数まで覚えているなんて奇跡に等しい。

「人は二度死ぬ。肉体が死んだときが一回目で、二回目の完全な死は、人々に忘れられたとき。」という言葉が、ある映画で出てきた。
私がいつまでもドラゴンボールの26巻のことを覚えていれば、あちらで祖母にまた会える。