おれがあいつで、あいつがおれで
ずっと見張られているのもイヤだけど、ずっと見張っているのもかなりしんどい。
「Aくんをずっと見張っていろ。なにか動きがあったら報告しろ」と、知らない怖い人に命じられる。
Aくんの住まいが覗ける部屋を借りて、できる限りAくんの家の窓から目を離さないでいる。
Aくんに大きな動きはない。日々は単調に過ぎ、窓辺の机に座って、ノートに何かを書くか、何かを読むかしている。
たまに近所に出かけて、食料品を買う。人との接触はほとんどない。
こんな日が何日も何日も続く。
ポール・オースターの「幽霊たち」は、こんな状況下に置かれた主人公が、揺さぶられ、苦しみ、もがく姿を描く小説だ。
主人公のブルーが、見張っている相手に対して「あいつは自分なんじゃないか」みたいな感覚に陥る。
「まさかそんなわけ」と思うが、でもよくよく考えてみると、あり得なくもない。
情報が極端にない場合、ずっと見ている相手のことを、「知りたい」と切望する。
何を書いているのか、何を読んでいるのか、何を買ったのか。
知りたい。
どんな些細な情報でもいいから、なんとか知りたい。
知りた過ぎて、色々と想像を膨らます。
想像を膨らますとき、ベースになるのは自分だ。
「自分だったらどうか」とか、自分のこれまでの経験や知見を動員して、未知のものを解読しようとする。
それが更に進むと、対象と自分が重なり合い、混じり合ってくるとか、そんなようなことが起こるのではないか。
相手にのめり込みすぎて、入っちゃう、というか。
情報がありすぎると、それが浅い情報でも、安心して、それ以上のめり込む、ということはないかもしれない。
情報が全然ないときに、知りた過ぎて、対象物の中に取り込まれてしまう。
そういう体験は怖いけど、一方で、ものすごい快感もありそうな。